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東京高等裁判所 昭和30年(行ナ)21号 判決

原告 川口賢城

被告 高等海難審判庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告訴訟代理人は、高等海難審判庁が同庁昭和二十九年第二審第二八号事件について、昭和三十年三月二十五日に言い渡した裁決を取り消すとの判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告訴訟代理人は、請求の原因として次のように述べた。

一、原告は、東京湾水先区水先の資格を有する水先人として、東京湾水先人組合に属し、水先人の業務に従事するものであるが、昭和二十八年三月三日京浜湾横浜区外防波堤外から油槽船カルテツクスダーバン号(船籍港北米合衆国ニユーヨーク、船舶所有者オーバーシーズタンクシツプコーポレーシヨン、総トン数一万四百四十八トン。以下甲船とよぶ。)を水先し、横浜第三区小倉石油さん橋へ向うため、同日午後四時二十五分抜錨して、錨地を発進し、外防波堤の入口に向つて進航中、同日午後四時三十五分外防波堤外検疫錨地から出港しようとして進航して来た汽船アトランタ号(船籍港伊太利国ローマ、船舶所有者ソシエテベルアツイオニマリテイマカポドルソ、総トン数六千九百七十一トン。以下乙船とよぶと。)と衝突し、乙船は甲船の右舷前方第二番ウイングタンクの舷側に、深さ約三メートル喰い込む損傷を蒙らしめた。

二、右衝突事件について、高等海難審判庁は、第二審として審判の結果、昭和三十年三月二十五日「本件衝突は、主として受審人川口賢城(原告)の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、汽船アトランタ(本件乙船)の臨機避譲の措置緩慢であつたことも、その一因である。川口賢城の東京湾水先区水先の業務を一箇月停止する。」との裁決をなした。

右裁決の理由の要旨は、次のとおりである。

甲船が油類合計一万四千七百八十八トンを載せ、船首尾とも八、九九メートルの喫水で原告の水先のもとに、昭和二十八年八月三月三日午後四時二十五分京浜港横浜区外防波堤北灯台から百四度(以下方位は、特に記載するものの外、すべて真方位である。)四千メートルばかりの地点を抜錨し、同区小倉石油株式会社さん橋にいたる航行の途、当時リバテー型船ルイスエメリージユニア(以下丙船とよぶ。)が、同灯台からほぼ百七度、二千五百五十メートルの地点に船首を南方に向けて停泊中であつたが、原告は甲船の船位を確めることなく、丙船は横浜航路北側線と港界線との交さ点附近にあり、その南側を通過して、外防波堤入口に向ければ航路に沿つて入港できるものと思い、抜錨と同時に、機関を半速力ついで全速力前進にかけ、丙船を船首少しく右舷に望むよう二百七十度の針路として進航中、午後四時二十七、八分、右舷船首四点千六百メートルばかりのところに船首を南方に向け航行中の乙船を認めた。午後四時三十一分ごろ、原告は、甲船の行きあしが一時間六、七海里となつたので、再び機関を半速力に減じてほぼ同一航力を保つて続航中、午後四時三十二分ごろ、丙船の船体のかげから現われた乙船を右舷船首約五点距離約七百メートルに認め、両船がそのままで進航すれば衝突のおそれのあるこどを知つたが、甲船は航路内を進航しているから、港則法第十四条第一項の規定により、乙船において避譲の義務があるものと思い、注意喚起のため汽笛長音一回を鳴らし、そのまま進航したところ、同船もそのまま進航してくるので危険を感じ、午後四時三十四分ころ機関を停止ついで全速力後退にかけるとともに、左舷錨投下を命じたが効なく、錨鎖四節を延出し船首は二百八十八度に向いた午後四時三十五分外防波堤北灯台から百十四度二千二百メートルばかりの地点において、乙船の船首は甲船の右舷第二番ウイングタンクのところにほぼ直角に衝突した。当時天候は曇天で東方の軽風が吹き、潮候は、張潮の末期であつた。

乙船は、空倉のまま船首八フイート船尾十五フイートの喫水で、同日午後四時二十五分横浜区外防波堤北灯台から八十七度二千三百メートルばかりの錨地を発し、シンガポールにいたる航行の途、抜錨するや、機関を一時間五海里の半速力前進にかけ、針路をほぼ百九十五度として進航中、当時、左舷正横前一、二点一海里ばかりのところを西方に向け、入港してくる甲船があつたが、船長ジユセツペ・グラツソはこれに気付かず、午後四時三十二分ころ停泊船丙船のかげから現われた甲船を左舷船首四、五点七百メートルの距離に初めて認め、その汽笛長音一回を聞き、両船がそのまま進航すれば衝突のおそれがあることを知つたが、同人は、海上衝突予防法第十九条の規定により、相手船甲船において避譲すべきものと思い、そのまま進航したところ、甲船は避譲する模様なくそのまま進航しきたり、午後四時三十五分少しく前、両船著しく接近して初めて危険を感じ、汽笛短音一回を鳴らして右舵を令し、ついで全速力後退をかけたが、錨を投じて行きあしを阻止する措置もとらず、ほぼ原針路のまま、前示のように衝突した。

衝突の結果、乙船の船首は甲船の右舷第二番ウイング・タンクヘ約二、四メートルに喰い込み、同所外板に上甲板より水線下に達する上辺の幅約二メートルのくさび型の破口を生じ、これに附随する内部諸要材を破損して同タンク内の油全部を流失し、乙船は、二十フイート喫水標字附近において、船首材曲折し、これに接続する左右の外板に、各長さ約三メートル幅約二十七センチメートルの破口を生じ、附随の諸要材を損傷した。との事実を認定した上、(証拠の摘示を省略する。)本件衝突は、海難審判法第二条第一号に該当し、主として原告が甲船を水先して横浜航路外から同航路に入る状況で進航中、同じ状況で進航してくる乙船を右舷船首に認め、衝突のおそれあるとき、海上衝突予防法第十九条の規定にしたがい、乙船の針路を避けなければならない場合、自船は航路を進航をしているから、港則法第十四条第一項の規定に従い、相手船において避譲すべきものと思い、そのまま進航した運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、乙船の臨機避譲の措置緩慢であつたことも本件に関しその一因をなすものである、と判定し、原告の所為に対し、海難審判法第四条第二項の規定により、同法第五条第二号を適用し、原告の東京湾水先区水先の業務を一箇月停止する。

としている。

三、しかしながら右裁決は、事実を誤認し、経験法則を無視し、本件衝突の責任について不当な判断をなしたもので、違法な裁決として取り消されるべきものである。

原告は、以下順次裁決が、(一)甲船の出発地点、(二)その針路、(三)乙船の出発地点とその針路、(四)丙船の停泊地点、(五)甲乙両船の衝突地点についての、事実認定を誤つている点を指摘し、それにより本件衝突の原因が、(六)原告の職務上の過失に基因するものではなく、(七)専ら乙船船長の職務上の過失に基因するものであることを明かにする。

(一)  甲船の出発地点

裁決は、甲船は昭和二十八年三月三日午後四時二十五分京浜港横浜区外防波堤北灯台から百四度、四千メートルばかりの地点を抜錨出発したと認定した。

(イ) 裁決に記載した証拠及び被告代理人の当法廷における釈明によれば、甲船の出発地点は、甲船船長オー・ピー・ベツクの供述書(乙第五号証)、同人の証拠保全における証人調書(甲第十四号証の二)及び甲船のスムースロツグブツク(甲第二十三 証)における「航路標識第三浮標に対し、真方位二百四十三度、群閃光八秒毎の紅灯台に対し真方位二百八十五度」の記載によつて認定したものであるが、右の交さ方位からは、裁決認定の抜錨地点は出て来ない、右交さ方位によれば、その地点は、裁決の認定した地点から二百四十二度の方向に六十五メートル離れた地点である。

(ロ) しかのみならず、右交さ方位は、甲船が横浜に入港した昭和二十八年三月三日午前一時二十六分にとられたものであるが、同船はその後同日午後一時にも方位をとつている。船位の決定には、船舶が移動した時間に近い時にとられた方位によるのが正確を期するゆえんであるのに、裁決がこの午後一時のものによらず、午前一時二十六分のものによつたのは、海上航行に関する経験則を無視したものである。右午後一時の交さ方位によれば、第三浮標に対し二百四十二度、外防波堤白灯台に対し二百八十四度の地点であつた。(甲第一号証甲船ラフロツグブツク参照)

(ハ) 甲船は三月三日横浜に入港し、午前一時二十分左舷錨を投下し、午前一時二十六分錨鎖四節で、ブロート・アツプし、当時船首方向は九十度であり、午後一時における船首方向も九十度であつた。午後四時二十五分抜錨時における船首方向は二百六十六度であり、同船のアンカーホールから船橋までの距離は約五十メートルであるから、錨を中心として船橋位置の移動を考慮に入れれば、甲船の右抜錨時における位置は、第三浮標に対し二百四十三度二分の一、外防波堤白灯台に対し二百八十二度の地点であつたとみるのが合理的である。

(ニ) 被告代理人は、甲船のラフロツグブツク(甲第一号証)における午後一時の交さ方位の記載中「Gp.Fl.ev.8sec」は「Gp.Fl.R.ev.8 sec」の「R」を書き落したものであると主張するが、右は船橋において船位を測定した者が、測定後直ちに記入するものであつて、方位測定に関する資料としては、右測定に最も接近した時のものであり、しかもこれを測定し記入する者は、一定の海技免状を有し、永年の経験を積んだ者であるから、その点に関する特段の証拠のない限り、これを間違とはなし得ない。この点に関し、被告の援用する甲船のスムースロツクブツク(甲第二十三号証)に、これを「Fairway bouy #3φ242°Gp.Fl.Red/8s L/H φ284°」(航路第三浮標に対し真方位二百四十二度群閃光八秒毎の紅灯台に対し真方位二百八十四度)と記載されたものこそ、却つて右ラフロツグブツクから転載するとき写し違つたものであり、甲船船長オー・ピー・ベツクの供述書(乙第五号証)及び同人の証拠保全における証人調書(甲第十四号証の二)の供述は、いずれも右誤まり記載されたスムースロツクブツクの記載をそのままに供述したものに過ぎない。しかも右供述が誤つたものであることは、原告がその後高等海難審判廷において訂正しておるのにかかわらず(乙第十号証参照)、この供述を採用したのは不当である。

(ホ) 仮りに午後一時における交さ方位の記載が被告主張のようにRを書き落したものとすれば、甲船の午後一時の位置は、午前一時二十六分の位置の北方六十メートルのところとなる。しかしながら、同日の潮流は午前零時三十分から午前六時三十分までは二百十度から三十度に流れ、午前六時三十分から午後零時三十分までは三十度から二百十度に流れており、右時間頃の天候は概ね静穏で風も大した影響を及ぼすものはなかつた。従て船は主として潮流によつて影響され、午後一時のコースレコードは九十度を示している。このことはすなわち甲船は同日午前一時二十六分に測定した地点から機関を使用しないのにかゝわらず、潮流に逆つて自動的に北方に移動したこととなる。

(ト) 更に被告は甲船の出発時の船橋の位置を、投錨時の船橋の位置より東方百メートルの地点としているが、その認定地点は投錨地より北東に寄つた地点となるばかりでなく、これを東方百メートルの地点と認定し得る合理的な根拠がない。

これを要するに裁決における認定は、衝突地点を先ず独断的に決定し、その後衝突にいたる経路を後から導き出すために、出発地点においても非合理、非経験法則的な地点を認定せざるを得なくなつたものにほかならない。

(ニ) 甲船の針路

裁決は、甲船は抜錨と同時に機関を半速力、ついで全速力前進にかけ、丙船を船首少しく右舷に望むよう二百七十度の針路として進航中、午後四時二十七、八分右舷船首四点千六百メートルばかりのところに船首を南方に向け航行中の乙船を認めた。午後四時三十一分ころ原告は甲船の行きあしが一時間六、七海里となつたので再び機関を半速力に減じて、ほぼ同一航力を保ち続航中、(中略)乙船もそのまま進航して来るので危険を感じ、午後四時三十四分ころ機関を停止、ついで全速力後退にかけたと認定した。

(イ) しかしながら甲船のコースレコーダー(甲第二号証)は右のような針路を示さない。すなわち

時刻     方位  速力

時分     度

午後四、二五 二六六 半

四、二六   二六九 全

四、二七   二六八 全

四、二八   二六八 全

四、二九   二六九 全

四、三〇   二六七 全

四、三一   二六八 半

四、三二   二七〇 半

四、三三   二七三 半

四、三四   二八二 停

四、三四半  二八七 全後

四、三五   二八九

四、三七   三〇一

となつており、甲船の針路が始終二百七十度でなかつたことは、右コースレコーダーの示すところである。従つて先に述べた抜錨地点と総合して考察すれば、午後四時三十二分五十秒頃には、甲船はすでに航路内に入つていたものである。

しかも右はいずれも船橋の位置を示すものであるから、衝突の実際の地点は、午後四時三十五分の位置から、更に前方三十メートルの地点である。

(ロ) しかるに裁決はこのコースレコーダーの示したところによらず、当時ジヤイロコンパスによつて船の実際のコースが何度であるかをも見ていない原告自身の供述等不正確な資料によつて、甲船の針路を認定したのは失当である。

(三) 乙船の出発地点とその針路

裁決は、乙船は昭和二十八年三月三日午後四時二十五分横浜区外防波堤北灯台から八十七度二千三百メートルばかりの錨地を発し、シンガポールにいたる航行の途、抜錨するや機関を一時間五海里の半速力前進にかけ、針路をほぼ百九十五度として進行中(中略)午後四時三十五分少し前、甲乙両船著しく接近して初めて危険を感じ、汽笛短音一回を鳴らして右舵を令し、ついで全速力後退をかけたが、錨を投じて行きあしを阻止する措置もとらず、ほぼ原針路のまま甲船と衝突したと認定した。

(イ)  裁決に記載した証拠及び被告代理人の当法廷における釈明によれば、右抜錨地の認定は、乙船船長ジユセツペグラツソに対する理事官保田立男の質問調書(乙第三号証)及び同船長の証拠保全における供述調書(甲第六号証の三)における、それぞれ「外防波堤赤灯台より八十七度一浬二五の地点」及び「外防波堤紅灯台に対して二百六十七度、第五浮標に対して二百二十八度」によつたものであるが、右の交さ方位からは、裁決書記載の抜錨地点は出ない。右交さ方位によればその地点は、裁決の認定した地点から約六十メートル距つた地点であり、裁決の認定は証拠に基かないものである。

(ロ)  更に乙船が午後四時二十五分停泊地点を発進して十分後に甲船と衝突したことは、裁決の認定するところであるが、時速五海里の半速力で、裁決の認定した衝突地点までの距離千四十メートルを行けば、乙船は発進七分弱後には衝突していなければならないことゝなる。これ裁決における衝突地点の認定が不合理かつ誤つたものであることを物語るものである。これを詳細に説明すれば、乙船は午後四時十五分錨鎖三節を巻き終り、抜錨四時二十五分機関を半速力前進にかけて進航を始めた。右錨を巻き終つたときは乙船は少くともその前進隋力により、船脚はおよそ四分の一海里位前進力を採つており、しかも同船は空船であるから、一時間五海里の半速力前進に機関をかけた後は、約一分半ないし二分後には、実際の速力も五海里の半速力になつているはずである。このような同船の速力関係と海図上で測定した同船の停泊地点と審決認定の衝突地点からみて、衝突地点が時間的に不合理を来すことを主張するものである。

(ハ)  またいかなる地点において衝突が発生したかを認定するには、乙船の進航した距離を考慮に入れなければならない。しかるに裁決には同船の実際の速力については、何等の検討もなされていない。

これらの事実は、裁決が先ず衝突地点を予定した上、乙船の航程を理論づけようとする推理の方法によつて認定したことを物語るものである。

(ニ)  しかのみならず裁決が認定の資料とした乙船船長ジユゼツペグラツソの述べた地点が実際の錨地であるかどうかも疑わしい。同人が方位を取つたという三月二日午前八時十五分当時乙船はまだ機関を停止していない。果して錨位が右記載の地点と合致するかは疑わしい。

(四) 丙船の停泊地点

裁決は、昭和二十八年三月三日午後四時二十五分甲船が抜錨、小倉石油株式会社さん橋に向け航行した当時、丙船が京浜港横浜区外防波堤北灯台からほぼ百七度、二千五百五十メートルの地点に船首を南方に向けて停泊していたと認定した。

(イ)  裁決に記載した証拠及び被告代理人の当法廷における釈明によれば、丙船の右停泊地点は、丙船一等航海士ジエイ・ダブリユ・トリツグに対する証拠保全における証人調書(甲第八号証の一、二)同船二等士官フオツクス・エム・グリセツトに対する証拠保全における証人調書(甲第十八号証の三)における「第三浮標に対し二百二度、左側灯台に対し二百八十三度、右側灯台に対し二百九十度、信号所に対し二百五十九度二分の一」の記載から認定したものであるが、右の交さ方位からは裁決認定の地点は出ない。右交さ方位によれば、その地点は裁決の認定した地点から、百九十五度の方向に百メートル離れた地点である。

(ロ)  一般に方位測定にあたり、数個の交さ方位が完全に一点に集中しない場合、船位の決定については、数個の交さ方位によつて囲まれた、その中心をとり、船位を定めるのが通例の方法である。

(ハ)  同船は投錨時錨鎖三節を延したから、錨の位置は船首から東の方七十五メートル前方となり、船橋からは更に五十メートル距つた東の方百二十五メートルとなる。裁決の認定したとおりとすると、同船の船首は百四十八度の方向に向つていたことゝなり、南方を向いていたとの認定と矛盾し、このことは裁決認定の丙船の位置が根拠のないものであることを示すものである。

これによつても裁決に示した丙船の船位は、結局衝突地点を独断的に決定し、右衝突地点に合致するよう甲船の針路及び出発地点を認めた結果丙船の船位が障害となるので、何ら合理的な根拠なくして、甲船のコースと丙船の船位との関係を合理化するため、これを百メートルばかり位置をずらせて認定したものとしか考えられない。

(五) 甲乙両船の衝突地点

裁決は、甲乙両船の衝突した地点を「外防波堤北灯台から百十四度二千二百メートルばかりの地点」と認定した。

(イ)  裁決は右認定の資料として、甲船三等航海士リーフクラツグ(裁決書は当初これを同船二等航海士ハロルドベトラスとしたが、後にこのように訂正した。)及び海上保安官中川次男の測定した交さ方位等を挙げている。しかしながら右甲船三等航海士リーフクラツグのとつた方位は、裁決の認定と異り航路内であり、(この点は(ロ)において詳述する。)中川次男の測定は、衝突後一時間を経過した同日午後五時四十分頃のものである。その間甲船は乙船の全速後退により、三十分以上も斜左後方に引かれ、かつ当時北北西の平均秒速六メートルの風が吹き、両船とも相当に吹き流されておつたばかりでなく、同人が乗組んだ巡視艇「あやめ」の如き僅々十トン足らずの小艇では相当に揺れ、コンパスも僅々七インチの径を有するものに過ぎず、コンパスは狭い操舵室内にあり、従つて同人の測定の正確性は疑わしい。殊に右のようなコンパスで、本牧鼻のような遠方を測定しているところから考えても、その誤差に対する疑が大きい。

(ロ)  前記甲船三等航海士リーフクラツグのとつた交さ方位は、衝突後二分にとられたもので、右は甲船のラフロツグブツク(甲第一号証)に「Fairway bouy #5true254°and N. Breakwater Red light tru 294°」(港路第五浮標に対し真方位二百五十四度及び北防波堤紅灯台に対し真方位二百九十四度)と記載されており、同船のスムースロツグブツク(甲第二十三号証)にも同様の記載がある、被告代理人は、右N. Breakwaterは外防波堤を指称するのであると主張するが、元来North Breakwater(北防波堤)なる名称は、内防波堤北水堤を表示する英文名であり、外防波堤は、英文ではOuter Break-waterと表示されている)。(甲第三号証米国水路局発行海図参照)従つて右ロツグブツクにおけるN. Breakwater Red Lightは、北水堤紅灯台を指すものであることは明白である。

しかのみならず外防波堤北灯台なる名称は、海図上は不明であつて、被告代理人は右は船舶備付の灯台表に記載されている旨主張するが、外国港に入港した外国船員が物標によつて方位を測定した場合、その表示は海図に表示されたままか、または他の物標と混同を生じない程度に特定し得る名称を付して航海日誌に記入するのが普通で、海図にない名称を、船舶備付の灯台表その他の文書により調査して記入するようなことはない。

(ハ)  衝突地点に関する裁決の認定の不合理なことは、乙船の速力と航行時間との関係でも明白であり、(この点は先に(三)の(ロ)において述べた。)甲船のコースレコーダー及び速力からいつて、衝突は航路内で起り、午後四時三十五分の船橋の位置より更に前方三十メートルのところである。(この点は先に(二)の(イ)において述べた。)

(ニ)  更に甲船の同日午後七時四十五分の船位は、外防波堤紅灯台を三百十一度、第五浮標を二百九十五度の地点であつた。横浜測候所の報告によると同日午後五時から午後八時までの風向は北北西、風力秒速六メートル九から十八メートル八までであつて、両船は右風に吹かれ、右の地点まで流された。若し裁決認定の地点で衝突したとしたら、両船の流された地点はこれよりずつと東の方になければならない。甲船は非帯に船足の重い、すなわち原油その他の荷物一万トン余を積載した船舶であることを考慮に入れるならば尚更である。

(ホ)  しかのみならず原告の主張する衝突地点及び衝突二分後の地点が正しいことは、原告の高等海難審判における審判調書(乙第十号証)、証拠保全における検証調書(甲第九号証)丙船二等航海士グリセツトの証人調書(甲第十八号証の三)において供述された、衝突後各人の目撃した衝突地点と丙船との距離がほぼ一致し、原告の主張と合致しておることによつても首肯せられる。これらの供述をした人々は、実際に本件衝突を目撃した者であり、かつ一定の教育及び訓練を受けた後海員としての資格を有し、しかも永年海上生活による実務の経験を有する者ばかりであつて、その供述する各距離は目測によるものとはいえ、実際の距離とは大差のないほどの正確性を有するものである。

しかるにもし被告の主張する衝突地点及び衝突二分後の地点が正しいものであるとしたら、前記目撃者の述べている地点とは、二、三百メートルもの非常に大きな開きを生ずる。いかに目測であるとはいいながら、実測との距離の開きが二、三百メートルもの違いを来すということはあり得ない点に徴しても、被告の主張する地点が不正確であることはおのずから判明するであろう。

(六) 原告の責任

裁決は、以上誤つた事実認定に基いて、更に「原告は、午後四時三十二分ころ丙船の船体のかげから現われた乙船を右舷船首約五点距離七百メートルに認め、両船がそのままで進航すれば、衝突のおそれのあることを知つたが、甲船は航路内を進航しているから、港則法第十四条第一項により、乙船において避譲の義務があると思い、注意喚起のため汽笛長音一回を鳴らし、そのまま進航したところ、乙船もそのまま進航して来るので危険を感じ、午後四時三十四分ころ機関を停止、ついで全速力後退にかけるとともに、左舷錨投下を令したが効なく、(中略)乙船の船首は、甲船の第二番ウイングタンクのところにほゞ直角に衝突した。」と認定し、「本件衝突は海難審判法第二条第一号に該当し、主として原告が(中略)海上衝突予防法第十九条の規定に従い、乙船の針路を避けなければならない場合(中略)そのまま進航して運航に関する職務上の過失に基因したものである。」と判定した。

(イ)  しかしながら甲船が衝突前既に航路内を航路内を航行中であつたことは、上述するところによつて十分論証せられたとおりであつて、港則法第十四条により、原告には避譲の義務はない。避譲の義務は乙船にあつたのに、乙船船長は何らの措置をも講じなかつたから、本件衝突は専ら乙船船長の過失によるものといわなければならない。

(ロ)  また衝突前における臨機措置についても、原告には何らの過失がない。すなわち甲船は入港に際しては、入港先を示すパーズ信号旗及び水先旗を掲げて入港船である旨を示し、かつ乙船を距離約半海里位に認めた時、長声一発の喚気信号をなし、なお再度長声一発を吹鳴して更に注意を喚起し、両船が愈々近接して衝突の危険を感ずるや、午後四時三十四分機関停止、左舷錨投下、四時三十四分三十秒全速後進をかけて衝突を避け、また損害の拡大を最少限に止める措置を講じた。けだし臨機の措置としては最善のもので、これ以上の措置をとることは、人力では不能といわなければならない。

(ハ)  裁決は甲船について海上衝突予防法第十九条を適用している。しかしながら若し仮りに甲船が航路に入らないで航行したとしても、乙船との間に見合関係が発生したのは、丙船を通過した後のことであり、しかもその時には既に両船は衝突の危険を避けるための措置をとらなければならないほどに達していたから、かゝる場合の両船の関係には海上衝突予防法の規定を適用すべきではない。従つてこれを適用した審決は、この点からいつても違法である。

(七) 乙船船長の責任

裁決は乙船船長の措置について、「三月三日午後四時三十二分ころ停泊船丙船のかげから現われた甲船を左舷船首四、五点七百メートルの距離に初めて認め、その汽笛長音一回を聞き、両船そのまま進航すれば衝突のおそれがあることを知つたが、(中略)そのまま進航したところ、相手船は避譲の模様なく、そのまま進航し来り、四時三十五分少し前両船著しく接近して初めて危険を感じ、汽笛短音一回を鳴らして右舵を令し、ついで全速力後退をかけたが、錨を投じて行きあしを阻止する措置もとらず、ほぼ原針路のまま甲船と衝突した。」と認定し、「乙船の臨機避譲の措置緩漫であつたことも本件に関しその一因をなすものである。」と判定しながらも、本件衝突が主として、原告の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものとしたことは前述のとおりである。

しかしながら本件衝突は、あらゆる面において、乙船側の過失に基因する。

(イ)  乙船船長ジユゼツペその他の乗組員等は横浜港内における方位に錯覚を来たし、自船の実際に進んでいる方向と、自船を進航せしめようとする方向とについて全然認識をかき、ために自船の実際に進航している前方に航路が存すること、従つて自船が航路を横切る方向に向つて進んでいることを知らなかつた。

(ロ)  乙船は港則法第十七条にも違反して航行していた。乙船は丙船を左舷に見て通過する場合にはなるべく遠く離れて通過すべきであつたにもかかわらず、僅か百メートルばかりの近距離を通過し、これに反して外防波堤はその存在すら知らないほど遠いところを通過した。もし乙船が港則法どおり航行していたならば、本件衝突は起きなかつたものである。

(ハ)  乙船の船長及び乗組員は見張不良及び出港に際して当然配置すべき船首における人員の配置を怠つた。乙船において甲船の各信号旗を認めていたならば、甲船が入港中の船であることは一見判明するにかゝわらず、見張不良のため信号旗の掲揚に気付かず、その結果甲船が入港船であることの認識をかき、従つて同船が航路内を航行中であることの認識をかいた。

(ニ)  乙船は衝突に際して採るべき臨機の措置としての投錨をしなかつた。もし乙船が投錨をしていたら、空船の状態にあつた同船は直ちに停止することができ、本件衝突は避け得たか、または損害の拡大を防止することができたものである。

(ホ)  しかのみならず、乙船には当初から不堪航性があつた。すなわち乙船の船長及び二等航海士の証言によつても明かなように、本件衝突の起きた当時乙船のジヤイロコンパスは同船の船首方向として百六十度を示していた。しかるに同船の停泊地点と衝突地点とを海図上に見れば、同船が実際に進んだ方向は、二百五度である。してみれば、同船のジヤイロコンパスは当初から狂つていたことゝなり、乙船は堪航性を欠如していたものである。本件衝突はかゝる欠陥から惹起されたともいい得るにかゝわらず、裁決がこれを看過し、全然考慮に入れなかつたのは著しい欠陥といわなければならない。

(ヘ)  被告代理人が、本項に対する答弁(イ)におけるように述べること自体が、裁決の事実認定があいまいであり、その主張が強弁であることを物語るものである。当時船橋にあつた船長が、自船の進航している方向及び港内における灯台の位置方向さえも知らないと述べている以上、同船長がいかに怠慢かつ注意を欠いていたかは明白である。

裁決が右のような乙船船長の運航に関する海員として要求せられる義務の履行につき甚しく怠慢でありかつ重大な不注意のあつたことに対して一顧も与えないで、単に形式的に甲船が航路外を航行していたこと、従つてこれに対して、直ちに海上衝突予防法第十九条を適用し、甲船に避航の義務があつたと認定したのは重大な違法といわなければならない。

第三被告の答弁

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対して、次のように答えた。

一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は、これを認める。

二、同三の主張は全部これを争う。以下順を追つて答弁する。

(一)  甲船の出発地点

(イ) 裁決における甲船の抜錨地点の認定及び右認定の資料は、原告代理人主張のとおりであるが、裁決は、投錨当時の船首の方向(九十度)抜錨時の船首の方向(二百七十度)船首から船橋までの距離(五十メートル)錨鎖の長さ(百メートル)船の錨にかかる状態等を考慮し、投錨時の交さ方位による船橋の位置を基準として、その東方百メートルばかりの地点を出発時における船橋の位置としたものである。

(ロ) 甲船が投錨した直後の午前一時二十六分のほか、更に午後一時に交さ方位をとつたことは争わない。しかしながら右午後一時における交さ方位は第三浮標に対し二百四十二度外防波堤紅灯台に対し二百八十四度であつて、原告主張のように第三浮標に対し二百四十二度、外防波堤白灯台に対し二百八十四度でないことは、甲船のスムースロツグブツク(甲第二十三号証)、甲船船長オーピーベツクの供述書(乙第五号証)及び同人の証拠保全における供述調書(甲第十四号証の二)の記載によつても明白である。そして右交さ方位により船位を求めると、同灯台を二百八十四度、三千九百五十メートルばかりの地点となり、原告主張の午前一時二十六分の投錨地点から北方六十メートルばかり離れたところとなるが、方位はコンパスによるもので通常一度以内の視差はあるものとされ、錨鎖の張り具合等を考え合せれば、この程度の違いは合理的であるから、裁決は午前一時二十六分の交さ方位を取つたものである。

(ハ) もつとも甲船のラフロツグブツク(甲第一号証)に午後一時の交さ方位として「Fairway bouy No.3φ242°Gp. F1. ev. 8sec.L/Hφ284°」(航路第三浮標に対し真方位二百四十二度、群閃光八秒毎の灯台に対し真方位二百八十四度)と記載されていることは争わないが、右「Gp. Fl. ev. 8sec」は、「Gp. Fl. R. ev. 8sec」の「R」の文字を書き落したものである。けだし同日午前一時二十六分の交さ方位は、同ラフロツグブツクには「Fairway bouy No.3φ243°Gp. Fl. R. ev. 8secφ285°」(航路第三浮標に対し真方位二百四十三度、群閃光八秒毎の赤灯台に対し真方位二百八十五度)と記載されており、若し午後一時の交さ方位が原告主張のようなものであつたならば、両地点間には三百五十メートルの距りを生じ、錨は両時刻の間に三百五十メートル移動したことゝならなければならない。しかるに当時の具体的な気象状況は錨の移動を合理化するような何らの外部的条件はない。

(ニ) 原告代理人は、午後一時における交さ方位の記載の対象物標が外防波堤紅灯台だとしても、甲船は投錨地点の北方六十メートルの地点から出発したとしているが、裁決は午前一時二十六分の船位を基準として、その錨の位置から東方百メートルばかりの地点と認定したもので、その北方六十メートルを認定していない。しかのみならず、裁決書が「外防波堤北灯台から百四度、四千メートルばかりの地点」として表現した出発点は、幾分幅がある。原告は勝手にこれを海図に入れ、被告の出発地点とした点を北方六十メートルとして議論をしているのは意味がない。

(二)  甲船の針路

(イ) 原告の主張は、コースレコーダーを誤読したものである。コースレコーダーは、ジヤイロコンパスから電気的に導かれ、大体の針路の動向を知るに過ぎず、機構上からも多少の誤差があるのを免れない。その誤差は一度内外であるが、原告代理人主張のように、一定の方向の誤差はなく、その方向は不定である。

船舶は、その船舶の慣性、波浪、風、潮流、抵抗等幾多内外の力によつて影響されるも、操舵によつて刻々これを修正し、ほぼ針路線上を走ることゝなる。すなわちコースレコーダーの示す船首方向は概略のもので、裁決が、船長及び水先人の供述した針路によつて甲船の進路を認定したのは何ら不当ではない。

(ロ) しかのみならずコースレコーダーは一度内外の誤差は免れないが、船舶が与えられた針路を保持したかどうかを判断する上において有力な資料であるから、裁決は、船長及び水先人の供述ばかりでなく、コースレコーダーをも参照して、前記の認定をなしたもので、コースレコーダーによる針路は、ほぼ二百六十九度二分の一で、原告及び船長の供述した二百七十度とほぼ一致している。

(三)  乙船の出発地点とその針路

(イ) 裁決が乙船の出発地点の認定に採用した資料は、原告のいうとおりであつて、保田理事官作成の検査調書は、グラツソ船長の供述に基いて作成され、同検査調書の記載と同船長の証拠保全調書中の供述記載との間には、僅少の差があるが、前者を採用した。

(ロ) 乙船のようなトン数、機関、速力の汽船が、機関を一時間五海里の半速力にかけた場合、同速力となるまでには少くとも五、六分を要することは経験上明かである。原告のいうように一分半ないし二分後五節の速力になるためには、機関を一時間十海里の速力にかけなければならない。

(ハ) 本件のように抜錨後間もなく衝突した場合、乙船船長の供述する速力のみで実際の速力を認定することはやゝ軽卒であるから、裁決は、錨地、衝突両地点間の航程と所要時間で算出した結果と、乙船船長の供述した速力とを勘案して速力を定めたものである。

(四)  丙船の停泊地点

(イ) 数個の交さ方位が完全に一致点に集中しない場合、数個の交さ方位によつて囲まれた中心が必ずしも正しいものとはいえない。各方位線のうち物標に近いものを重視して位置を決めるのが運航技術者の常道である。特に丙船の交さ方位のように四方位であり、各交さ点が著しく分散している場合、ほぼ一点に集約する方位のみをとり、遠く離れた方位を捨て位置を決定するものである。従つて裁決は物標まで遠距離の二百九十五度二分の一は、これを捨て、二百二度方位上に僅少の距離で交る二点のうち二百九十度をとつたものである。

(ロ) そして同船は投錨時船首を東に向け錨鎖三節を延出して静止しており、また右方位は船橋の位置をいうものであるから、裁決は、右方位の地点を東に向首し、錨鎖三節を延出して静止したときの船橋の位置とし、これが南に向首して停泊した位置を当時の丙船の停泊地点と認定したもので、右方位と認定地点との間に百メートルばかりの差異が生ずるのは自然であつて、原告の非難は当らない。

(五)  甲乙両船の衝突地点

(イ) 裁決が認定の資料とした海上保安官中川次男の測定した交さ方位が、衝突後一時間を過ぎたものであることは争わないが、衝突後右測定にいたるまでの間甲船は投錨して、しかも錨鎖四節延出しており、風力は和風以下であつたから、甲船の錨が移動したとは認められず、同人のとつた位置は、衝突地点を定める上の唯一の資料といわなければならない。そして右測定の精度が、原告代理人が(ホ)において主張する人々の目測より優つていることは、一般に認められているところである。

(ロ) 甲船のロツクブツクに記載されたN. Breakwater Red lightは、外防波堤紅灯台を指すものである。原告の主張する北水堤紅灯台を衝突地点から望むときは、外防波堤紅灯台の僅かに左寄りに認められる。かゝる場合近くに、しかも高い灯台があるのに、遠いものを取ることがないのは航海者の常識である。そして右交さ方位の対象となつた物標が、外防波堤北灯台であることは、原告自身海難審判理事官の質問調書(乙第六号証)及び海難審判第一審の審問調書(乙第八号及び第九号証)において、また甲船船長オーピーベツクが供述書(乙第五号証)において述べているところである。甲船のラフロツグブツクの記載方法は極めてまぎらわしい書方で、これのみで衝突地点を認定することは妥当をかく。

尤も外防波堤北灯台なる名称が海図上存在しないことは争わないが、右は船舶備付の灯台表に記載された名称である。

(ハ) 気象台の報告は各時刻における風向とその時刻前十分間の平均風速を示しているに過ぎず、原告主張(五)(ニ)の横浜測候所の報告も、同日午後五時から午後八時までの風向と風速とを完全に示しているものではない。

そして同日午後七時四十分甲乙両船分離後測定された船位が風向と正反対の方向より僅かに異つた方向に流されていたとしても、経験的合理性に反するとはいえない。船に働く外力は風のみではなく、潮流もあり、この当時潮流は西方に流れておつた。

(六)  原告の責任

(イ) 本件衝突当時甲船が航路内を航行中でなかつたことは、すでに述べた。

(ロ) 従つて甲船に避譲義務の過怠があつたのであるから、原告が衝突直前における臨機の措置について過失がなかつたとする原告の主張(ロ)も反駁に値しない。

(ハ) 両船のうち一般に避航義務が生ずるのは両船が互に見得る状態にあり、しかも衝突のおそれがある場合であつて、運航当事者が見張不十分のため、これを認めたかどうかは問うところでない。本件の場合甲船が抜錨した直後、原告が相手船を認めたことは原告の争わないところであるから、見合関係が発生したのは丙船通過以前のことであり、裁決が本件について海上衝突予防法第十九条を適用したのは当然であつて何ら違法もない。

(七)  乙船船長の責任

(イ) 港内を航行するにあたり、コンパスにより針路を定める場合もあり、港内の事物等により針路を定め、コンパスを使用しない場合もある。後者の場合、正確な方位についての認識をかく場合はままあることで、外国船のように港に不慣の場合はなお更である。いわんや保全手続において、当時の針路を供述できなくても、それがため直ちに方位に錯覚があつたとはいえない。

(ロ) 港則法第十七条は、いわゆる右小廻、左大廻と呼ばれ、ふとう、防波堤、停泊船等の障害物の存在する港内において、これらの障害物の蔭にかくれ相互に認識が困難のとき、出会い頭の衝突を避けるため互に左舷を相対して航過するようにするもので、本件のように出会い頭でない場合には、同条の適用の余地はない。

(ハ) 乙船船長は臨機の措置を執るには十分な時機において甲船を視認しているので、それ以前に甲船を視認しなくても、何ら本件衝突には関係はなく、これが直接の原因とは認められない。

(ニ) 乙船船長において衝突を避けるために採つた臨機の措置が緩漫であつたことは裁決も認めたところである。しかしながらそれは本件事故発生の一因で、本件の衝突の主因をなすものは、甲船の避譲義務の懈怠である。

第四(証拠省略)

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は、当事者間に争がない。

二、よつて以下同三主張の各点について順次判断する。

なお以下掲げる甲乙各号証の成立(写を以て提出したものについては、その原本の存在及びその成立)については、全部当事者間に争のないものである。

(一)  甲船の出発地点

甲船が昭和二十八年三月三日京浜港横浜区に入港し、同日午前一時二十分投錨(錨鎖四節を延出して停止、当時の船首の方向は九十度)、同日午後四時二十五分抜錨発進したこと、並びにその間同船が同日午前一時二十六分及び午後一時に交さ方位をとり、前者すなわち午前一時二十六分における交さ方位が航路標識第三浮標に対し二百四十三度群閃光八秒毎の紅灯台に対し二百八十五度であつたことは、いずれも当事者間に争がない。しかるに後者すなわち午後一時における交さ方位について、甲第一号証(甲船のラフロツグブツク)には「bearings Fairway bouy No.3φ242°Gp. Fl.ev. 8sec L/Hφ284°」

と記載され、また甲第二十三号証(甲船のスムースロツグブロク)には「bearings, Fairway bouy ♯3φ242°Gp. Fl. Red/8sL/Hφ284°」と記載されていることが認められ、原告代理人は、右ラフロツグブツクの記載こそ正確であり、スムースロツグブツクの記載は、これを転記する際誤記したものであると主張し、被告代理人は、右ラフロツグブツクにおける「Gp. Fl. ev. 8sec L/H」は、「Gp. Fl. R. ev. 8secL/H」の「R」を書き落したものであると主張する。よつて先ずこの点について判断するに、ラフロツグブツクは、船橋にあつて船位を測定した者が、測定後みずから直ちに記入するものであるから、ラフロツグブツクの記載が、後にこれに基いて作成されるスムースロツグブツクの記載と相違する場合、船位測定にあたり、前者の記載が誤りで、後者が正しとして、これによるには、その点に関し特段の事情がなければならないことは、まことに、原告代理人の主張するとおりである。

しかしながら船舶が停泊中時々地物の方位を測り、船舶の位置を確めるのは、錨地の安全性を確めるとともに、投錨後における船舶の位置の移動の有無を知り、移動の事実があれば、その原因を究め、対策を講ずるためになすものであることはいうをまたないところであつて、このように停泊中の船舶がその位置の移動の有無を知るには、格別の事情のない限り、同一の地物を対象として方位を測定するのが通常であると解せられる。けだし同一の地物を対象として方位を測れば、単にその読取り度数だけで、容易に船位の移動の有無を直感し得るに反し、異る地物を対象とするときは、更にその方位を海図上に記入して初めて船位移動の有無を知り得ることとなり、前者に比して甚だしく迂遠であるからである。

これを本件についてみるに、午前一時二十六分投錨後間もなくなされた方位の測定が、航路標識第三浮標及び群閃光八秒毎の紅灯台を対象としてなされたことは先に認定したところであり、甲第一号証のAM4bearings checked O.K. の記載によれば、午前四時にも同一物標により錨泊方位を照合したことが認められる。しかるに午後一時の測定が、一方は前記第三浮標を対象としながら、他方先の群閃光八秒毎の紅灯台を対象とすることができず、群閃光八秒毎の灯台(いわゆる白灯台)を対象としなければならなかつたような特別の事情は全く認められない。そればかりでなく、もし右午後一時の方位測定が、原告代理人主張のように、いわゆる白灯台を対象としてなされたものであつたとすれば、甲船は午前一時二十六分の測定と午後一時の測定との間に、原告代理人の主張によつても三百二十メートル(被告代理人は三百五十メートルと主張する。)移動したことゝなるが、その間において甲船が転錨した事実が認められないのはもちろん、甲第一号証によれば、その間における風に関する記載は静穏で(calm)であつたことが認められ、その他かゝる移動を理由づける外部的条件は全くこれを認めることができない。

以上認定の一切の事情を総合して考察すれば、前記甲船のラフロツグブツクにおける午後一時測定の物標「Gp. Fl. ev. 8sec.」の記載は、同日午前一時二十六分測定の物標と同様「Gp. Fl. R. ev. 8sec」をとりながら、「R」の文字を落したものと認定するを相当とする。

してみれば甲船の三月三日午後一時における交さ方位は、航路標識第三浮標に対し二百四十二度群閃光八秒毎の紅灯台に対し二百八十四度であつたものというべく、甲第二十九号証、乙第十号証の記載及び原告の本人尋問における供述中、右認定に反する部分は、当裁判所これを採用しない。

右午後一時における甲船の交さ方位と、甲第二号証によつて認めることができる午後一時及び午後四時二十五分抜錨当時の甲船の船首方向が、それぞれほぼ九十度及び二百七十度であつたこと、甲第一号証によつて認めることができる甲船が錨鎖四節を延出していたこと並びに方位の測定は「度」を単位とするものであるから、正確に測定したとしても、左右半度以内の誤差のあることは免れず、なお錨鎖は常時緊張して全錨鎖延び切つているものでないことを総合して考察すれば、裁決が甲船の抜錨地点を横浜区外防波堤北灯台から百四度、四千メートルばかりの地点と認定したことは相当であつて、この認定が違法であるとは認められない。

(二)  甲船の針路

甲第二号証によれば、甲船のコースレコーダーが、ほゞ原告主張のような記録を示していることが認められる。しかしながら右コースレコーダーの表示が、右端における12N50からIPMの間において約一度ばかり右方にはみ出すとともに、左端象限欄においては、中央よりやゝ左方に偏して記録されていることによつても明かなように、機構的に多少の誤差のあることは、これを認容しなければならないところである。(原告代理人も右コースレコーダーの表示に誤のあることはこれを認め、ただこれが一定方向に常に一度ずつ右に寄つていることを前提として、前記の主張をしている。)してみれば右コースレコーダーにより、一、二度の差異を論ずることは、必ずしも当を得たものとは解されない。ただ右コースレコーダーの記録によれば、甲船は抜錨後船首をほゞ二百六十九度、二百七十度の間において多少左右に振りつゝ略々同一針路を以て進航したことを認め得るところ、乙第八号証及び乙第十号証によれば、甲船の抜錨後水先人として始終その船橋にあつて甲船を操縦した原告自身甲船の針路を二百七十度としたことが認められ、船舶の針路が操縦者これを決定命令するものであること及船舶の針路は、その慣性、抵抗、風、潮流等内外における幾多の条件によつて影響され、船舶はこれら諸条件に応じて修正しつゝ針路の上を走るものであることを考慮に入れて、右甲第二号証、乙第八号証、乙第十号証の各記載と甲第十六号証の二(甲船船長の証拠保全における供述調書)における「進路は殆んど真方位二百七十度をとつていたことを示している。」旨の記載とを総合して考察すれば、甲船は抜錨と同時に二百七十度の針路を定め、船首を多少左右に振りつゝ、ほゞ同一の針路を保つて進航したものと認定するのを相当とし、甲第十四号証の二、甲第二十七号証、乙第五号証の記載及び当裁判所における原告本人の供述中、右認定に反する部分は、当裁判所これを採用しない。

(三)  乙船の出発地点とその針路

乙第三号証によれば、乙船の錨泊地点は、横浜区外防波堤紅灯台から八十七度一浬二五(二千三百メートル)であることが認められ、同号証及び甲第七号証の一、二並びに後(五)において認定する甲乙両船の衝突地点を総合して考察すれば、同船は三月三日午後四時二十五分同地点を抜錨、徐々に右転し、最初機関を五海里の半速度前進にかけ、針路をほぼ百九十五度として進行したことを認めることができ、甲第六号証の三及び甲第七号証の二、三の記載のうち、右認定に反する部分は、当裁判所これを採用しない。

原告代理人は、乙船が右認定のように午後四時二十五分右停泊地点を発進して、時速五海里の半速力で進行すれば、その後七分弱にして衝突を惹起する筈であつて、発進後十分を経過して衝突した現実とは一致せず、これによつても、乙船の停泊地点ひいては衝突地点の認定が不合理であることを物語るものであると主張するが、乙船のトン数、機関、速力等を考慮に入れて考察すれば、たとい空船であつたにもせよ、同船が発進後約一分半ないし二分後にして、原告代理人の主張するような速力に達しているものとは解することができず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(四)  丙船の停泊地点

甲第八号証の一、二及び甲第十八号証の三によれば、丙船は昭和二十八年三月三日横浜に入港午後二時三十五分投錨、投錨後午後二時四十二分同船二等士官フオツクスエムグリセツトの測定した交さ方位は、「第三浮標に対し二百二度、左側灯台に対し二百八十三度、右側灯台に対し二百九十度、信号所に対し二百五十九度二分の一」であつたことが認められる。しかしながら右四つの方位が一点に集中しないことは当事者間に争のないところであり、原告代理人は、かゝる場合には、数個の交さ方位によつて囲まれた中心を採るのが通例の方法であると主張するが、常にそのようにしなければならないとの事実はこれを認めるに足りる証拠はなく、むしろこのように四方位でとつた交さ点が分散する場合には、物標については誤差を生ずる公算のより大きい遠距離のものを捨てゝ近距離のものを採り、また数個の交さする方位については、同様の理由により、直角により近い角度を以つて交わるものを採るのが、方位測定の通常の方法と解せられ、従つて裁決が遠い物標信号所に対する方位を捨て、また第三浮標に対する二百二度の方位上に交る二つの方位のうち、八十八度を以て交る右側灯台に対する二百九十度との交さ点をとり、丙船の同日午後四時二十五分当時の停泊地点を横浜区外防波堤灯台からほぼ百七度、二千五百五十メートルの地点としたのは相当であるといわなければならない。

原告代理人は、同船は投錨時錨鎖三節を延ばし、錨の位置は船首の東方にあつたから、錨鎖の長さ及び船橋の位置から計算して、右裁決の認定したとおりとすると同船は百四十八度となり、南方を向いていたとの認定と矛盾すると主張するが、先にも述べたように、方位の測定は「度」を単位とするものであるから、いかに正確に測定するも、実際の距離との間には、多少の誤差のあることを免れず、更に錨鎖は常時全錨節延び切つているものでないことを考慮に入れれば、右原告代理人の非難は当らない。

(五)  甲乙両船の衝突地点

昭和二十八年三月三日午後四時三十五分甲乙両船が衝突し、衝突直後である四時三十七分甲船の三等航海士レーフ・クラツグが交さ方位を取り、船位を測定したこと及びその交さ方位が、同船のロツグブツクに「Fairway Bouy #5 true 254°and N. Breakwater Red Light true 294°」と記載されていることは当事者間に争がない。(甲第一号証及び甲第二十三号証参照)

右N. Breakwater Red Light の記載について、原告代理人は、右は北水堤赤灯台を表示したものであると主張し、被告代理人は、外防波堤北灯台であると主張する。

甲第三号証によれば、米国水路局発行の海図には、京浜港横浜区北水堤を North Breakwater 東水堤を East Breakwater とし、外防波堤はこれをOuter Breakwaterと表示していることが認められ、米国船舶である甲船が右海図を備付け使用していたことは疑のないところであるから、右 N. Breakwater Red Light の記載が北水堤赤灯台を表示するものであるとの原告代理人の主張も一応首肯できるところであり、甲第二十九号証の記載並びに当審における原告本人の供述もこれに合致している。

しかしながら当裁判所のなした検証の結果によれば、衝突の起きたとせられる地点(原告の主張によるも)からみて、外防波堤灯台は北水堤灯台に比較して著るしく近距離にあり、北水堤灯台は外防波堤の遠方に小さく見えるに過ぎないことが認められ、また先に認定したところによれば、甲船はその停泊中午前一時二十六分及び午後一時の両度とも、外防波堤紅灯台を対象として船位を測定している。これらの事実を念頭において考察すれば、船舶がその停泊地より発進して、ひとしく外防波堤の外側を進航し、十分を出でずして衝突した場合、その船位を測定するにあたり、この近距離にあり、従来測定の対象として来た明瞭な物標を棄て、遠距離にあつて、小さく見え、測定上の誤差を生ずる公算も従つて大きい北水堤の灯台を選ぶものとは容易に考えられない。そしてこのことを、乙第八、九、十号証の記載によつて認められる、衝突の翌日原告が甲船にいたり、甲船の船長、乗組員と衝突の地点について討議(デイスカツシヨン)したところ、衝突直後交さ方位を取つた同船の三等航海士が、メモを示し確信を以て「航路外で衝突が起きた」旨を主張してきかなかつたとの事実並びに甲船船長オー・ピー・ベツクが、その供述書(乙第五号証)付図Gに「衝突二分後に交さ方位がとられた場所」として指示した〈4〉点が、航路外に表示されている事実とを併せて考察すると、右N. Breakwater Red Light は、これを外防波堤紅灯台と認定するのが相当であつて、甲第二十九号証の記載及び当裁判所における原告の供述中右認定に反する部分は当裁判所これを採用しない。

一方乙第七号証によれば、海上保安官中川次男は、本件海難の報告を受け、横浜海上保安部警救課長と共に港内艇「あやめ」に搭乗、同日午後五時四十分現場に到着、直ちに命を受けて方位を測定したところ、その方位は、本牧鼻、南四十五度西、外防波堤白灯台北六十六度西、三号浮標は南二十度西(磁針方位)であつたことが認められる。

原告代理人は、右中川次男が交さ方位を取つたのは衝突後一時間を経過したもので、その間相当の強風及び乙船の全速後退により、両船の位置はかなり移動しておつたばかりでなく、「あやめ」のような小艇で、しかも僅々七インチの径を有するコンパスによる測定の正確性は疑わしい旨主張し、甲第四号証の一、二によれば、同日午後四時から午後八時までの風向風速(秒速)は、午後四時東二、二メートル、午後五時北北西六、九メートル、午後六時北北西九、三メートル、午後七時北北西八メートル(午後七時五十五分寒冷前線通過北二十四、七メートル)午後八時北北西十八メートルであつたことが認められるが、乙第五号証及び乙第七号証によれば甲船は衝突の直前機関を停止するとともに、左舷錨を投じ、錨鎖三節を延出し、午後八時頃揚錨するまで錨は投入されたまゝであつたこと及び前記測定当時は、風力未だ弱く所々に白波が見える程度であり、風力が強くなつたのは、その後であることが認められる。一方甲第二十一号証及び甲第二十八号証の一、二によれば、中川次男の乗つた港内艇あやめ及びその操舵室が、それぞれ狭少で同人の使用したコンパスが、原告代理人主張のような大きさのものであることが認められるが、同号証によれば、中川次男は同所において方位桿を立てゝ船位の測定を行つたことが認められ、これら事情を総合すれば海難の現場において、命を受けてなした海上保安官の方位桿を立てゝ行つた船位の測定が、前述の事情のため特に不正確であつたと推認することはできない。してみれば、右中川次男が午後五時四十分に測定した交さ方位も、前記甲船三等航海士リーフ・クラツグのとつた交さ方位と共に、甲乙両船の衝突地点を認定するためには、最も重要な資料たるを失わない。

そして右両交さ方位を、先に認定した衝突の翌日における原告と甲船乗組員との討議(デイスカツシヨン)、乙第五号証付図Gの〈4〉点の記載、甲船の進路、甲船の投じた錨鎖の長さ等を総合して考察すれば、甲乙両船の衝突地点は、外防波堤北灯台から百十四度二千二百メートルばかりのところで、航路外にあつたと認定するを相当とし、甲第五号証、甲第八号証の一、二、甲第九号証、甲第十号証の一、二、甲第十四号証の一、二、甲第十七号証の二、甲第十八号証の三、甲第二十九号証、乙第十号証の記載及び当裁判所における原告の供述中、右認定に反する部分は、当裁判所これを採用しない。

また甲第十九号証の一、二、三は、甲船の出発地点、針路について、前記(一)、(二)と異る前提において調査報告したものであつて、これまた前記認定を覆すに足りない。

原告代理人は、なお乙船の速力と航行時間及び甲船の同日午後七時四十五分の船位(甲第一号証によれば、同時刻における同船の交さ方位が、外防波堤紅灯台三百十一度、第五浮標二百九十五度であることが認められる。)より推して、右認定を非難するが、乙船の速力と航行時間を前提とする非難が当らないことは、先に(三)において説明したところから明らかであり、また甲船の午後七時四十五分の船位に関しては、同日衝突後における風向、風速は、先に認定したとおりであるが、他面乙第十二号証によれば、当時潮流は北西方に向つて流れていたことが認められるから、右事実を総合して考察すれば、前記両事実を前提とする原告の非難も当らない。

(六)  原告の責任

(イ)  本件衝突前甲乙両船とも航路外を航行中であり、衝突地点また航路外であつたことは、いずれも以上認定にかゝるところであるから、本件については、当時施行されていた改正前の海上衝突予防法第十九条の適用あるものというべく、甲船が同条にいう「他船ヲ右舷ニ見ル船」であることは、先に認定した甲乙両船の抜錨地点及び針路に徴し明白であるから、甲船において、乙船を避譲する義務があつたものといわなければならない。

(ロ)  原告代理人は、甲船が衝突前原告の指揮によつて執つた臨機の措置の数々を挙げて、当時人力としてなし得べき最善のものであると主張し、甲第十四、十五、十六号証の各一、二、乙第六号証、乙第八号証によれば、甲船が衝突前原告代理人主張のような各種の措置を講じたことを認めることができるが、すでに甲船において避譲の義務の懈怠がある以上、たとえ右の措置に出でたとしても、その責任を免れることはできない。

(ハ)  原告代理人は、また甲乙両船の間に見合関係が発生したのは、丙船を通過した後であり、しかもその時は両船は衝突の危険を避けるため緊急の措置を採らなければならない至近距離にあつたと主張するが、乙第十号証の記載と、先に認定した甲乙両船の針路、速力及び丙船の停泊地点を総合すれば、見合関係は丙船通過以前すでに発生していたことを認めることができるから、右原告代理人の主張も採用することができない。

(七)  乙船船長の責任

甲第六号証の三、甲第七号証の二、三及び乙第三号証並びに前に(二)ないし(五)において認定した甲乙両船の針路、丙船の停泊地点及び衝突地点を総合して考察すれば、乙船船長ジユセツペグラツオは、三月三日午後四時三十二分ころ丙船のかげから現われた甲船を左舷船首五、六十度七百メートルの距離に初めて認め、両船がそのまま進航すれば衝突のおそれのあることを知つたが、そのまま進航し、午後四時三十五分少し前両船が著しく接近して初めて危険を感じ、汽笛短音一回を鳴らして右舵を令し、ついで全速力後退をかけたが、錨を投じて行きあしを阻止する措置もとらず、ほぼ原針路のまま甲船と衝突したことを認めることができる。

以上認定の事実によれば、乙船船長の臨機避譲の措置は緩漫であつて、そのことが本件衝突について一因であつたと判断するを相当とする。

原告代理人は、更に進んで、乙船は当初から堪航性を欠き、同船船長その他乗組員は自船の実際進んでいる方向と、自船を進航せしめようとした方向について全然認識を欠き、また見張及び必要な人員配置をしなかつたのみならず、港則法第十七条に違反して航行したものであるから、前述の緩漫な措置と相まち、本件衝突はあらゆる面において乙船の過失のみに基因すると主張するが、甲第六、七号証の各一、二、三、甲第十六号証の一、二の記載のみをとつて、直ちに乙船のジヤイロ・コンパスに狂があり、また同船長及び乗組員が、自船の進んでいる方向と進航せしめようとした方向に全然認識をかいたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる資料はない。

また乙船船長が丙船のかげから現われた甲船を初めて認めてから衝突するにいたるまでの経過は、前記認定のとおりであるから、乙船船長は、臨機の措置を執るに十分な時機において甲船を視認したものというべく、よしこれ以前に見張又は人員配置に過失があつたとしても、本件衝突とは直接の関係はなく、また障害物の蔭から出会い頭に衝突を避けるための航過義務を規定した港則法第十七条の規定は、本件の場合には適用の余地がないものといわなければならない。

してみれば、前記のように乙船の臨機避譲の措置が緩漫であつたことが一因であつたにもせよ、本件衝突は主として原告の前記(六)認定にかゝる運航に関する職務上の過失に基因して発生したものと認定するの外なく、裁決が右と同一の事実認定及び判断のもとに、原告の東京湾水先区水先の業務を一箇月停止するとしたのは、相当で、右裁決には原告の主張するような違法はないものといわなければならない。

以上の理由により、原告の本訴請求は理由なしと認めてこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判官 岡咲恕一 原増司 原宸)

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